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女川から戻ってきました

昨晩帰ってまいりました。
たくさんのご尽力、あらためてお礼申し上げます。
姉から途中経過はご報告させていただいたと思いますが、重複しますがご報告いたします。

まず、義援金に関しましては、5人の孤児(3世帯)になってしまった方々に、子ども達も同席するなかで、お渡ししました。
  
3月11日の震災があった日から3日間は なにも食料がなく、
支援が期待できないと判断し、教育委員会長の遠藤先生と女川町長と
二人で歩いて食料を得に 道もないところ出かけ、避難している事を知らせ、
かろうじて子供たちの数だけパン1個ずつ与えることができたそうです。

支援物資について
先に女川入りした友人からのアドバイスで、避難所の状態が知らされていました。
支援物資が山積みとなっており、必要な物を探すにはその山を崩さなけれならず、整理するボランティアがいないとのことでした。
せっかくの支援物資が必要な方たちに届かない現実、狭い避難所にかえって荷物となってしまっている現実。
そこでよりきめ細かく、個々に必要な物を手渡す、もし渡せない場合は、置いていかず、持ち帰ることに決めました。
結果として、持っていたものすべて残ることなくお渡しでき、みなさんにとても喜んでいただきました。
95歳の山下さんの作ってくださった靴下は、何箇所かある避難所のうち、やはり体育館が一番冷えそうでしたのでそこに集中して持ってまいりました。
みなさんそれは喜んでいらっしゃり、私もうれしい気持ちになりました。

しかし、お詫びしなければならないことがあります。
荷物を運ぶためレンタカーの8人乗りのワゴン車を借りたのですが、たくさんの支援物資をすべて積むことができなかったのです。
我が家に残っている物は責任を持って、何らかの方法でお届けいたします。
震災 女川写真5 震災女川体育館写真

添付いたしました写真は女川を写したものです。
大きな体育館は災害本部が置かれている女川第2小学校です。
ここで教育委員会長方とお会いしました。子供たちの写真は問題があると思い写しませんでした。
この高台にある小学校、体育館は女川原発の東北電力が造ったものです。

女川以外の被災地も回ってみました。石巻の門の脇地区も鳥肌が立つ光景です。
しかし、ある秩序をもって、復興の足音がすぐそこまで聞こえています。
ボランティアにあふれています。各地からの救援隊にあふれています。

女川は違います。
かろうじて道が整理されただけで、永遠に人が入れないような、絶望的な風がふき抜けています。
行政区として未だ機能していないのは女川だけだという事です。
横浦浜、高白浜などの光景はうめきのようなものが突き上げるだけです。

義援金はもちろん、支援物資も必要、
しかし何よりも必要な物は、優秀なリーダーであると痛切に感じております。
そして、今後も長い支援が必要なこと、大きな声で支援をお願いし、訴え続けなければ立ち直る事が出来ないと覚悟に似た自覚を持って帰ってまいりました。

菊地さんには、女川に目を向けてくださり、たくさんの方々に声をかけてくださったことを心より感謝申し上げます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
           


                                 

  
  

10:51 | その他 | edit | page top↑
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