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旅のそらから

5月11日(水)
成田発11:50 ミュンヘン経由でフィレンツェへ
乗り継ぎ待ち(日本時間深夜1:40)

ミュンヘンまで11時間のフライト中、食事・おやつタイム以外の約5時間くらい 例のバラの花たわしを編んだ。
約20個編みあげる。

A航空会社の客室乗務員、乗客から声をかけられ バラが義援金になる事を説明。
5個売れた!

編み物に没頭したのでフライト時間が短く感じた。
・・なんと勤勉なこと!!・・
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19:25 | その他 | edit | page top↑

スケッチの会 4月30日

ワンコイン脇のほのぼの路地のチューリップ、パンジーを描いて心癒すひとときを過ごしました。
ほのぼの路地でのスケッチ

少し前まで、咲き誇っていたチューリップも今年の卯月に幕を引くように、30日の強い風に花びらを1枚ずつ落としていきました。
そして皐月。さつきが鮮やかに街に彩を添える頃となりました。

大震災、被災、避難所・・・心乱れる日々の中で、巡る季節に芽吹き花開く自然の営みを観ると、パンドラの箱の底に残った「希望」を思い出してしまいます。

どんなに小さくても絶望と思われる傍らに、必ず希望はあると思います。

4月30日の作品

次回は 5月30日(月)13:00~16:00 です。


23:20 | スケッチを楽しむ | edit | page top↑

女川から戻ってきました

昨晩帰ってまいりました。
たくさんのご尽力、あらためてお礼申し上げます。
姉から途中経過はご報告させていただいたと思いますが、重複しますがご報告いたします。

まず、義援金に関しましては、5人の孤児(3世帯)になってしまった方々に、子ども達も同席するなかで、お渡ししました。
  
3月11日の震災があった日から3日間は なにも食料がなく、
支援が期待できないと判断し、教育委員会長の遠藤先生と女川町長と
二人で歩いて食料を得に 道もないところ出かけ、避難している事を知らせ、
かろうじて子供たちの数だけパン1個ずつ与えることができたそうです。

支援物資について
先に女川入りした友人からのアドバイスで、避難所の状態が知らされていました。
支援物資が山積みとなっており、必要な物を探すにはその山を崩さなけれならず、整理するボランティアがいないとのことでした。
せっかくの支援物資が必要な方たちに届かない現実、狭い避難所にかえって荷物となってしまっている現実。
そこでよりきめ細かく、個々に必要な物を手渡す、もし渡せない場合は、置いていかず、持ち帰ることに決めました。
結果として、持っていたものすべて残ることなくお渡しでき、みなさんにとても喜んでいただきました。
95歳の山下さんの作ってくださった靴下は、何箇所かある避難所のうち、やはり体育館が一番冷えそうでしたのでそこに集中して持ってまいりました。
みなさんそれは喜んでいらっしゃり、私もうれしい気持ちになりました。

しかし、お詫びしなければならないことがあります。
荷物を運ぶためレンタカーの8人乗りのワゴン車を借りたのですが、たくさんの支援物資をすべて積むことができなかったのです。
我が家に残っている物は責任を持って、何らかの方法でお届けいたします。
震災 女川写真5 震災女川体育館写真

添付いたしました写真は女川を写したものです。
大きな体育館は災害本部が置かれている女川第2小学校です。
ここで教育委員会長方とお会いしました。子供たちの写真は問題があると思い写しませんでした。
この高台にある小学校、体育館は女川原発の東北電力が造ったものです。

女川以外の被災地も回ってみました。石巻の門の脇地区も鳥肌が立つ光景です。
しかし、ある秩序をもって、復興の足音がすぐそこまで聞こえています。
ボランティアにあふれています。各地からの救援隊にあふれています。

女川は違います。
かろうじて道が整理されただけで、永遠に人が入れないような、絶望的な風がふき抜けています。
行政区として未だ機能していないのは女川だけだという事です。
横浦浜、高白浜などの光景はうめきのようなものが突き上げるだけです。

義援金はもちろん、支援物資も必要、
しかし何よりも必要な物は、優秀なリーダーであると痛切に感じております。
そして、今後も長い支援が必要なこと、大きな声で支援をお願いし、訴え続けなければ立ち直る事が出来ないと覚悟に似た自覚を持って帰ってまいりました。

菊地さんには、女川に目を向けてくださり、たくさんの方々に声をかけてくださったことを心より感謝申し上げます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
           


                                 

  
  

10:51 | その他 | edit | page top↑

女川から 木村さんからの報告 二日目

二日目、乾電池の単一をたくさんの方に渡せ、トランジスタラジオも大変喜んでいいただけました。
おかげさまで入浴セットは70セットほどできました。

そして亡くなった友人のところを訪ね、被災地では全く手に入らない花を東京で沢山買い、現地でアレンジして祭壇に飾らせていただきました。
その後、墓地に行きましたが、ほとんどの墓地が倒れ元の形をなしていないのに、我が家の墓地は5~6センチほどずれただけでした。

また、避難所で服を渡しました。
服はすべて一枚ずつビニール袋にいれ、サイズなど明記し選びやすいようにセットした物にしました。
95歳のお婆ちゃまが編んでくださった靴下カバーは 体育館で避難なさっている方達に持って行き、大変喜ばれ暖かいお気持ちと、勇気をお届け出来たと思いました。

今後も長い支援が必要なこと、大きな声で支援をお願いし、訴え続けなければ立ち直ることができないと覚悟に似た自覚を持って帰ります。

写真は電池切れで携帯ではとれませんでした。デジカメでとりましたので編集してご協力くださった方達にお送りしたいと思います。
また、詳細は報告しますが、孤児になってしまった子の一人は障がいを持ったお子さんです。
生活障がいか、自閉症のお子さんと思います。
また避難所で自閉症でピアノを弾くと落ち着き避難所で皆の為に演奏している橋本君(テレビ、新聞に取り上げられた)に会い、支援物資を渡すことができました。
ご協力いただいたこと、心よりお礼申し上げます。
*・*・*・*・*・*・*・*

現地の写真を送っていただきましたので、一部を掲載させていただきます。
震災女川写真1
震災女川写真3
震災女川写真2



※避難場所で物資が滞っている様子が、新聞、テレビで報道されていました。
 木村さん方のきめの細やかな準備で、多くの方の手元に届けられ手いる様子がよくわかります。
 準備に心砕かれたことと思います。
 
22:24 | その他 | edit | page top↑
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